Special Interview
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メイクアップアーティスト&ビューティディレクター
MICHIRU
March 5th, 2018
渡仏、渡米を経て帰国後、国内外のファッション誌、広告、映像、女優やアーティストのメイク、トークショウなども数多く手がける。 化粧品関連のアドバイザーやコンサルタント、商品開発、MiMCクリエイティブディレクターなど幅広いフィールドで活動。オーガニックへの造詣も深く、肌、心、体の内側からきれいになれるインナービューティを提唱。
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WORK

ニューヨークやパリでのエキサイティングな毎日が、今の私の糧に

  • Q.メイクアップアーティストという仕事を選んだきっかけを教えてください。

    小さい頃から、自分よりも人を綺麗にする事に興味がある子どもでした。 高校生くらいになると、メイクアップやヘアアレンジなどに興味を持ちはじめ、友人の髪の毛を切ってあげたりしていて。今思うとそれが、メイクアップアーティストになりたいと思い始めたキッカケかもしれません。

    そのまま想いは変わらず、美容学校に入って基礎を学びました。当時は、サロンでの経験がないと撮影現場でメイクのお仕事は出来ない時代。まずはサロンに入って働き、撮影現場のアシスタントなどの経験を積みました。当時女優さんなどのメイクも多く担当されていた師匠の妊娠を機に、そのまま私が師匠の仕事を引き継ぐ事になりました。その頃私はまだ21歳。デビューとしては早い方だったと思います。

    ファッションとメイクの本場パリで活動したいという想いがずっとあり、28歳でパリに移住。パリでは主に、雑誌の撮影、舞台役者へのシアターメイクや、特殊メイクの仕事をしていました。その後、師匠の勧めでニューヨークに拠点を移し、4年間ファッション、ミュージック、ファッションショーなど、さまざまな仕事を経験しました。

    海外では考えられないようなハプニングが日常茶飯事におこります。 撮影が予定通りに終わることの方が少ないですし、集合時間通りに行っても撮影現場に誰もいないことなんてしょっちゅう(笑) もしイメージと違うモデルが撮影に来たら、その場でモデルをチェンジし、撮影現場でオーディションが始まることも。ハプニングは多いですが、国籍も文化もバックグラウンドも様々なスタッフたちとの仕事はエキサイティングで、とても勉強になりました。海外で経験したハプニングの数々のおかげで、日本に帰国した後、ほとんどのことには動じなくなりました。

  • Q.思い出深いお仕事とは?

    パリに移住してしばらくは、フランス語も流暢に話せずとても苦労をしました。うまく聞き取れず待ち合わせの場所も間違えてしまったり…。当時はメールもなく、連絡手段は全て電話だけだったので。でも、ショーのバックステージは大人数のチームで仕事をするのですが、言葉がわからない私にもみんなすごく優しくて。お昼休憩の時などに、テーブルの上に言葉を書いて意味を教えてくれたり、色々丁寧に教えてくれました。その助けがあって、徐々に言葉を理解できるようになりました。 また、舞台のお仕事では、毎日メイクもちょっとずつアレンジしていくんです。 そこでのチームワークは、とても勉強になりました。使ったことがない材料を使い、グラデーションを入れたり、吹き付けたり。それは、メイクアップアーティストという枠を超えた、まるでアートピースを仕上げるような仕事でした。そこには、ファッションの現場だけではわからない世界があり、毎日ドキドキしていましたし、とてもエキサイティングでしたね。